蕎麦好きの独り言(2015.07.16up)

その弐壱「一陽来復」


稲も随分大きくなりました



いやあ、まったくやれやれの毎日でございました。
過去形ですので何とか一段落したのですけれども、殺人的スケジュールがおよそ一ヶ月続いた次第であります。
本業も凄かったのですが家業の方も色々重なりまして、個人の嗜好に関することは何も手につかない状態にありました。不幸中の幸いとでも申しましょうか、おかげさまでズボンのベルト穴の位置が一段狭まりました。しかし体重は不思議なことにほとんど変化ないのであります。これについては後々考察したいと考えております。

それでも寸暇を拾い集めて蕎麦打ちは一回だけ行いました。今現在は蕎麦と言うより素麺の方が美味しく感じる季候となりましたが、我が家では7/13の夕方に今期初めてエアコンという文明の利器のスウィッチを入れたのでございます。日中はそれなりに暑い日もございましたが、夜になるとひんやりした風が部屋に流れ込んでくるので、快適な睡眠を享受させていただいておりましたが、もう限界でございます。


  
初めて使った蕎麦粉


上の写真が今回初めて使った蕎麦粉であります。
いつも村山の道の駅で何かのついでに仕入れていたのでありますが、何故か手に入らなかったので相方が苦労して何とか見つけてきたブツでありまする。つまり水加減とかは全くの未知だったわけでして、それでも今までの経験で何とかなるだろうと同じ加水率で打ち始めたら何か変?、やけにネバネバして手に引っ付く感じが以前間違えた小麦粉のような感覚なのであります。

あ゛!!!

そうです。やってしまいました。大失敗です(笑)
完全に水の入れすぎであります。もう軟らかいことこの上ない蕎麦になりました。それでも諦めずに何とかまとめ上げて茹でたのが下の写真であります。



思いの外喉ごしの良い蕎麦に仕上がりました


季節柄氷水で締めたのが功を奏したのか、軟らかくはあるがそれなりに食べられる蕎麦に仕上がりました。何事も諦めずに最後まで頑張ると結果がついてくるものだなあと再認識した次第であります。(大笑)
それから我が家の蕎麦打ちの際の恒例となりました刺身が下の写真であります。
今回は何の刺身でしたか…
もう完全に忘れてしまいました…(汗)


  
はて?…


それから6/21でしたか山歩きではありませんが、中島台に散歩に行って参りました。
ずいぶんご無沙汰しておりましたが、「あがりこ大王様」とのご対面を致しまして大急ぎでとって返して来た次第でございます。



あがりこ大王様


大王様と言えば絶大な権力を持つ国家元首のイメージがございますが、最近世情を賑わしていらっしゃるのがオリムピック発祥の国の経済的衰退でございます。
EU加盟諸国というのは、いわゆる先進国と定義されておりまするが、IMFからの融資の返済期限を過ぎても返済できぬ国が、この中からついに出てしまいました。
ヨーロッパの国の人達は色んな意味で古来から国家の有り様を様々な角度から眺めて来られたと存じておりますが、そんな状況下での経済的計画性のないポピュリズムの危険性を国民が認識できていなかったことは、とても悲しいことであると考える次第であります。

多くの不幸な事例は国の経済の破綻によるものであることは歴史が証明しておるところであります。
当然ではございますが、我が国においても同様な事例は過去に存在しましたので、多くは語りません。我が国民の多くの方々は決して忘れることは出来ないと存じます…

情報とは最終的には個人がその中身を判断するしかないと思う昨今ですが、我が国におきましても種々雑多な情報が氾濫しておるところです。どれが正しくどれが誤りなのか正確に教えてくれる人はいないのですから、いやいやむしろ極端に言えば情報操作して欺こうとする輩の方が多いと思いますが、それらの怪しからん情報の多くは、人の弱味につけ込んでいるところが共通するものと考えている次第です。


そう言う悪意に満ちた情報に触れる度に思い出すのが、我が家の大豆畑にはびこるツユクサの姿であります。


  
大豆畑に暗躍するツユクサ



採取後は圃場外に出して車のタイヤで踏みつけます


実際毎年この雑草には手を焼いている次第でありまして、有効な除草剤がないため(正確にはあるのですが、マニュアルリストにないため使用できないのです)結局毎年一本ずつ手で引っこ抜くしか有効な手だてはないのでありまして、田んぼの草刈りが一段落した今がその時期なのでありまする。
まあ本当に毎年感心するほど性懲りもなく生えてきますね。世間には「もぐらたたき」と言うゲームが存在するようで御座いますが、毎日やっているといくら面白いゲームでも飽きてきますが、そんなことを言ってほったらかしたら最後…
後で泣きを見るのは明白でございます。

全く持ってこの世の仕組みは変な意味で平等に出来ているものでございます。
そうです。それは雑草にも賦与されたもののようでありまして、何度引っこ抜かれても尽きることなく再生してくるその姿を目の当たりにすると、悪意に満ちた我が心根も、諦念を凌駕し羨望へと昇華致します。
そんなことを考えながら怠惰に満ちた日常を送っていると、むくむくと湧き上がる欲望が…(笑)

え?、そうです。我が心根も常に再生するんでがすよ…(汗)

やれやれ